13:50、頂上着。1,700m。
                   南は霧で、北方は晴れ間が見えている。「ホントウは」といいたくなる願望の景色と、「ネ!」といえる景色が同時に展開しているのだ。
                  
                  
                   岩だらけの頂(いただき)には、安達太良神社の祠と三角点があった。
                   近くの山は箕輪山や鉄山だろうか。はるか磐梯、吾妻、蔵王の連峰も見え隠れしているようだ。
                   一木一草もない狭い山頂で、ごろごろ岩の足場を気にしながら、しばらくはみんなとそれぞれの喜びを語り合う。見るまに汗が引いて少し肌寒く感じてきた。タイミングよく案内役Jさんの声が聞こえた。
                  「下山しまーす!」 14:00。
                  火口
                   
                   20分ほどガレ場を下ると火口が見えた。その少し前から硫黄の臭いが漂っている。
                   沼ノ平火口は黄色と白のまだらで、向こうにひと筋湯煙が上がっている。『智恵子抄』の感慨とは似ても似つかぬ荒涼たる眺めである。いつなにが起きても不思議でない形相だ。
                   事実、3年前(1997年)の4人に続いて、昨年もこの硫黄禍で亡くなった登山者がいるとか。優しさと雄々しさの陰で牙をむく安達太良山の実景であった。 
                  高山植物
                   登りではなぜか気にとめなかったが、ハイマツ!
 登りではなぜか気にとめなかったが、ハイマツ!
                   こんな標高(1,700m、低い)だから、予期せぬ出会いだった。よく見ると、左右はずっとそうなのだ。
                  「毎年大雪ですし、風もすごいんですよ」、案内のJさんが教えてくれる。山はここでも、過酷な自然の猛威に耐えつづけている一面を見せた。
                   ”鍛錬”というか、鍛えあげた姿は美しい。それをハイマツが表現しているとすれば、その逞(たくま)しさを崇(あが)めるかのごとく高山植物が可憐な容姿で彩りを添えていた。
                   ドウダンツツジがきれいである。橙(だいだい)と黄と赤の花びらが緑の背景に鮮やかだ。
                   例年なら、いまがカエデの紅葉真っ盛りのようなのだ。今年はまだ乙女の恥じらい程度……この景色も捨てたものではないが。
                   自然の造作に見とれているうちに、霧は跡形もなくなっていた。空は白雲たなびく快晴だ。……泥んこ道は変わりなし。 
                  あどけない話
                   火口を過ぎるといまはなじみの泥道とガレ場、どちらも気を許せない。注意しいしい下りについた。
                   見え隠れする山並みの景色も左右の潅木も見事だから、つい気が散ってしまう。すべりも転びもしなかったのはラッキーだった。
                   だいぶん下り立ったころ、Jさんが横道へ誘(いざな)ってくれた。そこから眺めた安達太良の連山は印象深かった。
                  
                  「右のほうから鉄山、箕輪山、そして乳首≠ェ安達太良山です。いままであそこにいたのですよ。その横に篭山や矢筈森も見えますね」
                   流れる雲を背景に、安達太良の連山が横に並んでいる。午後3時過ぎの景色だ。
                   この光景、季節も時間帯も違うが、『智恵子抄』のあどけない話≠ナ詩(うた)う光太郎の思いを伝えるに十分であった。
                  