東京江東区の「山歩き講習会」受講者が、講師の岩崎元郎先生に引率され、鹿俣山登山を果たしたのが昨年6月だった。
 翌月受講者による「深川山歩会」が結成され、ちょうど1年になる。
 その間、山歩会として幾つもの山を体験し、仲間の友情も築かれてきた。
 そんなことで、今月の登山は思い出の鹿俣山となった
7月17日(土)
8:15 (東京都江東区)門前仲町富岡八幡宮(バス) ⇒ 群馬県沼田(バス) ⇒ 迦葉山弥勒寺大天狗面見学 (昼食) (バス)⇒ 玉原湿原入口
13:45 市営センターハウス ⇒ 玉原湿原散策 ⇒ 朝日の森ロッジ着 15:00   宿泊
7月18日(
9:00 朝日の森ロッジ(0:50) ⇒ 峰(1,302m)(0:20) ⇒ ブナ平分岐(1:20) ⇒ 山頂付近、ゲレンデ 昼食 鹿俣山(1,637m)登頂断念
12:30 鹿俣山頂付近(0:50) ⇒ 鹿俣沢分岐(0:20) ⇒ ラベンダーガーデン ⇒ オートキャンプ場 ⇒ (バス) ⇒ 沼田 ⇒ 東京・富岡八幡宮着 18:00
 

 蒸し暑い曇天。
 8時過ぎ、バスは山歩会の仲間17人を乗せて富岡八幡宮をスタートした。
 途中3度サービスエリアに立ち寄り、正午、『迦葉山(かしょうざん)龍華院弥勒護国禅寺』着。天狗のお面で有名な寺だ。
 合掌して、境内散策。お面に見守られながら昼食。

迦葉山(かしょうざん)龍華院弥勒護国禅寺
迦葉山(かしょうざん)龍華院弥勒護国禅寺

 この寺、観光案内の口上があながちオーバーではなかった。曰く、

 武尊(ほたか)山系に連なる深山幽谷の勝域にあり、春は新緑、夏は霊鳥「仏法僧」の声を聞き、秋は全山紅葉、冬は白雪四囲を覆う。弥勒寺は、嘉祥元年(848)に開創、桓武天皇の皇子葛原親王の発願により天台宗比叡山座主、慈覚大師を招いて……。

 弥勒寺を出て30分ほど歩くと玉原(たんばら)湿原に出る。1時45分。
 1年ぶりの木道だ。そうだったような……思いそれぞれで歩く。
《前より生い茂ってる!》そう直感する。去年より1ヶ月ほどあとだから、そのはずだ。
 小一ヶ月前の6月下旬に尾瀬ヶ原を散策した。いま、玉原が見劣りするのは否めない。

玉原湿原

 これ、不公平というか鑑賞眼のなさというか。尾瀬ヶ原のように鳥瞰だけでも感動させる景色もある。が、湿原自体、眺めるよりもじっくり見据えるものではないか。一幅の絵ではなく、歴史を秘めた壮大な自然のドラマなのだ。いまはその一断面にすぎない。……20分やそこらの散策でいっぱしの感想とは僭越であった。 

朝日の森ロッジ

 3時にはロッジに着いていた。「玉原高原・朝日の森」
 朝日新聞が全国各地の山腹に展開しているロッジのチェーンである。外見も内装も諸設備も「素晴らしい!」というか山の施設としては「素晴らしすぎる」ほどだ。

朝日の森ロッジ

 女性9人は3部屋に分かれ、男8人は2部屋とする。ベッドは思い出の2段ベッドだ。
 ザックや荷物をひとまずベッドの上に置いて、突っかけでロッジを出てみた。
 去年の今ごろ、山歩きの洗礼を受けたいわばゆかりの地だ。
 星見の広場も周辺の森も小径もブナ林も草花も遠くの山々も、全部見覚えがある。……少し感傷的な期待をしていたせいか、平凡な感じも拭えない。
《こんなところだったのか》
 思わず拍子抜けの小声を発してしまった。
 1時間半ほどひとりで舗装道や砂利道をぶらりぶらり。なにを考えるでもなく、歩いては休み、また歩きを繰り返した。出会う人もなかった。

 4時半には風呂の用意ができていた。湯船で鼻歌と思ったが、先客がいたのでやめた。

 夕食に続いて、1時間半ほどロッジ主催のスライド上映を楽しむ。
 終わって、三々五々部屋へ。
 …………
《もう寝るのかな? 少し早いんじゃないか? その分、朝の景色が楽しめるか》
 吹っ切れず独りごちながら、ザックのMDプレーヤーを取り出しベッドに置く。安眠促進剤である。
 ベッドは布団を敷く手間もいらない。横になれば今日の日は帰らぬ昨日となっていく。
《だけど……、ちょっと早いよな》
 案の定、
「みんな集まらない?」
 押さえたような声だが、全員”あうん”の呼吸で応じた。まだ8時半、声の主はだれでもよかったのだ。 

ロッジの夜

 中2階のラウンジは見る間に車座に変わった。
 どこで調達したのか、輪の中に酒肴(さかな)が山と積んである。
「カンパーイ!」

 そのあとがよくなかった。
《今夜こそ静かにして、みんなの楽しい団らんに加えてもらおう》
 部屋を出たときから揺るぎない誓いを立てていた。
 誰かの声がぼくの脳波を乱した。
「今日は裕次郎の13回忌だよナ!」
 誓いがグラリと揺らいだ。思わず声が出てしまった。
「そうなんですよ! みんな読んだ? ”弟”。泣きましたよ!」
「オーバーじゃない?」
「だから黙っちゃおれんのですよ。ちょっといい?」
 断れない問いかけをする。悪い癖だ。

《なんであんなにしゃべって》
 二日酔いのように翌朝の悪い寝覚めがわかっているのに、乱れた脳波は堰(せき)を切っていた。もはや普段の温厚で、もの静かな自分ではなくなっていた。
 裕次郎への思いの丈、……幼年時代からスクリーンへのデビュー、”狂った果実”のエピソード、そして病。仲間の白けに気を配る暇などなかった。
 みんながほぼ同年代だから比較的共通の話題だし、
「いい加減にしてやめてくれないかな!」
 といったヤジのないのをこと幸いに、昨夜インターネットにアップした筋書きを追ってしゃべりまくった。

「そうだったね。裕次郎も遠くなりにけりか」
「よく共演した女優、だれだったかしら? 芦川いずみじゃなかった?」
 頃合いを見計らってか、そんなからめ手の合いの手が出た。いかなぼくでも『そろそろ』を要求しているのだなとわかる。
《まだ終わってないんですよ、ぼくの話!》
 それを言わなかっただけ、幾分の救いはあったか。 

  
夕方ロッジの窓に止まった大蛾
夕方ロッジの窓に止まった大蛾
 
Part2へ>
〔鹿俣山〕
Part1朗読(9'31") on
Part 1
玉原
Part 2
鹿俣山
Close  閉じる