蒸し暑い曇天。
8時過ぎ、バスは山歩会の仲間17人を乗せて富岡八幡宮をスタートした。
途中3度サービスエリアに立ち寄り、正午、『迦葉山(かしょうざん)龍華院弥勒護国禅寺』着。天狗のお面で有名な寺だ。
合掌して、境内散策。お面に見守られながら昼食。
この寺、観光案内の口上があながちオーバーではなかった。曰く、
武尊(ほたか)山系に連なる深山幽谷の勝域にあり、春は新緑、夏は霊鳥「仏法僧」の声を聞き、秋は全山紅葉、冬は白雪四囲を覆う。弥勒寺は、嘉祥元年(848)に開創、桓武天皇の皇子葛原親王の発願により天台宗比叡山座主、慈覚大師を招いて……。 |
弥勒寺を出て30分ほど歩くと玉原(たんばら)湿原に出る。1時45分。
1年ぶりの木道だ。そうだったような……思いそれぞれで歩く。
《前より生い茂ってる!》そう直感する。去年より1ヶ月ほどあとだから、そのはずだ。
小一ヶ月前の6月下旬に尾瀬ヶ原を散策した。いま、玉原が見劣りするのは否めない。
これ、不公平というか鑑賞眼のなさというか。尾瀬ヶ原のように鳥瞰だけでも感動させる景色もある。が、湿原自体、眺めるよりもじっくり見据えるものではないか。一幅の絵ではなく、歴史を秘めた壮大な自然のドラマなのだ。いまはその一断面にすぎない。……20分やそこらの散策でいっぱしの感想とは僭越であった。
朝日の森ロッジ
3時にはロッジに着いていた。「玉原高原・朝日の森」
朝日新聞が全国各地の山腹に展開しているロッジのチェーンである。外見も内装も諸設備も「素晴らしい!」というか山の施設としては「素晴らしすぎる」ほどだ。
女性9人は3部屋に分かれ、男8人は2部屋とする。ベッドは思い出の2段ベッドだ。
ザックや荷物をひとまずベッドの上に置いて、突っかけでロッジを出てみた。
去年の今ごろ、山歩きの洗礼を受けたいわばゆかりの地だ。
星見の広場も周辺の森も小径もブナ林も草花も遠くの山々も、全部見覚えがある。……少し感傷的な期待をしていたせいか、平凡な感じも拭えない。
《こんなところだったのか》
思わず拍子抜けの小声を発してしまった。
1時間半ほどひとりで舗装道や砂利道をぶらりぶらり。なにを考えるでもなく、歩いては休み、また歩きを繰り返した。出会う人もなかった。
4時半には風呂の用意ができていた。湯船で鼻歌と思ったが、先客がいたのでやめた。
夕食に続いて、1時間半ほどロッジ主催のスライド上映を楽しむ。
終わって、三々五々部屋へ。
…………
《もう寝るのかな? 少し早いんじゃないか? その分、朝の景色が楽しめるか》
吹っ切れず独りごちながら、ザックのMDプレーヤーを取り出しベッドに置く。安眠促進剤である。
ベッドは布団を敷く手間もいらない。横になれば今日の日は帰らぬ昨日となっていく。
《だけど……、ちょっと早いよな》
案の定、
「みんな集まらない?」
押さえたような声だが、全員”あうん”の呼吸で応じた。まだ8時半、声の主はだれでもよかったのだ。
ロッジの夜
中2階のラウンジは見る間に車座に変わった。
どこで調達したのか、輪の中に酒肴(さかな)が山と積んである。
「カンパーイ!」
そのあとがよくなかった。
《今夜こそ静かにして、みんなの楽しい団らんに加えてもらおう》
部屋を出たときから揺るぎない誓いを立てていた。
誰かの声がぼくの脳波を乱した。
「今日は裕次郎の13回忌だよナ!」
誓いがグラリと揺らいだ。思わず声が出てしまった。
「そうなんですよ! みんな読んだ? ”弟”。泣きましたよ!」
「オーバーじゃない?」
「だから黙っちゃおれんのですよ。ちょっといい?」
断れない問いかけをする。悪い癖だ。
《なんであんなにしゃべって》
二日酔いのように翌朝の悪い寝覚めがわかっているのに、乱れた脳波は堰(せき)を切っていた。もはや普段の温厚で、もの静かな自分ではなくなっていた。
裕次郎への思いの丈、……幼年時代からスクリーンへのデビュー、”狂った果実”のエピソード、そして病。仲間の白けに気を配る暇などなかった。
みんながほぼ同年代だから比較的共通の話題だし、
「いい加減にしてやめてくれないかな!」
といったヤジのないのをこと幸いに、昨夜インターネットにアップした筋書きを追ってしゃべりまくった。
「そうだったね。裕次郎も遠くなりにけりか」
「よく共演した女優、だれだったかしら? 芦川いずみじゃなかった?」
頃合いを見計らってか、そんなからめ手の合いの手が出た。いかなぼくでも『そろそろ』を要求しているのだなとわかる。
《まだ終わってないんですよ、ぼくの話!》
それを言わなかっただけ、幾分の救いはあったか。
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